盛田 昭夫のプロフィール・経歴・著書

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プロフィール

名前盛田 昭夫(もりた あきお)
生年月日1921年1月26日
出身地愛知県
学歴大阪帝国大学理学部物理学科(大阪大学大学院理学研究科・理学部)卒業

人物について

愛知県名古屋市にて盛田久左衛門・収子の長男として生まれます。生家は、代々続いた造り酒屋で父・久左衛門は盛田家第14代当主。母・収子は、元大垣共立銀行頭取戸田鋭之助の娘であり、元仙台市長・早川智寛の姪、会社再建の神様といわれた早川種三のいとこにあたる人でした。

愛知県第一師範学校附属小学校(現・愛知教育大学附属名古屋小学校)、旧制愛知県第一中学校(現・愛知県立旭丘高等学校)、第八高等学校(現・名古屋大学)へと進学し、最終学歴は大阪帝国大学理学部物理学科卒です。

太平洋戦争中、海軍技術中尉時代に戦時科学技術研究会で井深大と知り合い、この出会いが大きな物語とソニーの未来へと繋がっていきます。

主な経歴

1945年(昭和20年)
大学卒業後は海軍技術中尉に任官、横須賀の航空技術廠支廠勤務になります。その後8月に終戦を迎えます。

1946年(昭和21年)
東京通信研究所を改組し、井深氏(ソニーファウンダーで元ソニー会長)とともに資本金19万円をもって東京通信工業株式会社(現ソニー株式会社)を設立、取締役に就任します。

1947年(昭和22年)
東京通信工業株式会社、常務取締役に就任します。

1950年(昭和25年)
日本初となるテープレコーダー「G型」を開発・発売。当時のお金に換算するとおよそ16万円、かつ重さも35kgあったため一般にはなかなか手に出すのが難しいものでもありました。さらに同年、東京通信工業株式会社、専務取締役に就任となります。

1953年(昭和28年)
磁気テープ工業会(現社団法人日本記録メディア工業会)発足、初代理事長に就任します。

1955年(昭和30年)
日本初のトランジスタラジオ「TR-55」を発売します。

1957年(昭和32年)
世界最小のポケッタブルトランジスタラジオ「TR-63」発売し、本格的輸出の第1号となったのです。

1958年(昭和33年)1月
社名をソニー株式会社へと変更。その年東京証券取引所上場となります。

1959年(昭和34年)
ソニー代表取締役副社長に就任します。

1960年(昭和35年)
米国にソニー・コーポレーション・オブ・アメリカを設立し、取締役社長へ就任。また世界初のトランジスタテレビ「TV8-301」を発売します。

1971年(昭和46年)
ソニー代表取締役社長に就任し、1976年(昭和51年)にはソニー代表取締役会長に就任。

1979年(昭和54年)
初代ウォークマン発売し、今日まで続く携帯音楽プレーヤーの歴史が始まったとも言われています。その後もさまざまな役職に就く等、活躍はさらに続いていきます。

1986年(昭和61年)
経団連副会長に就任します。

1991年(平成3年)
勲一等瑞宝章受章します。

1992年(平成4年)
英国王室から名誉大英勲章およびナイト爵の称号を受けるなど、日本国内のみならず海外でもその活躍と栄誉が称えられます。

1993年(平成5年)
11月に脳内出血に倒れ、その後会長の座を退き、ハワイにて静養します。その後回復します。

1994年(平成6年)
ソニー ファウンダー・名誉会長に就任。

1998年(平成10年)
フランスからレジオンドヌール勲章コマンドゥールを贈られます。多くの功績を残します。

1999年(平成11年)
10月3日午前10時25分、肺炎のため東京都港区の東京都済生会中央病院で死去。78歳でした。

主な著書

  • 学歴無用論(2018年3月1日/フィールドアーカイヴ; 復刊オフセット版)
  • 21世紀へ (2000年11月1日/ワック)
  • 新実力主義 (1969年/文藝春秋)