プロフィール
名前 | 青野 慶久(あおの よしひさ) |
生年月日 | 1971年6月26日 |
出身地 | 愛媛県 |
学歴 | 大阪大学 工学部 情報システム工学科 卒業 |
人物について
青野氏の父親の職業は警察の通信技術者で、全国各地の県警に転勤を繰り返していたため、両親とも四国出身だったにもかかわらず、青野氏は転勤先の埼玉県浦和市で生まれます。その後は岡山県、愛媛の松山市などを転々とした後、8歳のときに父親が単身赴任となります。
青野氏は愛媛県立今治西高等学校を卒業する18歳の頃まで、愛媛県今治市の近郊にある父親の実家で過ごしたそうです。卒業後は大阪大学工学部へ。卒業後は松下電工へと入社し、セキュリティシステム事業などに携わり、システム環境を整備するなどの業務に従事します。
会社のトップでありながら育児休暇を取得したり、夫婦別姓制度導入についてさまざまな取り組みを行ったりとご自身の意見をしっかりと述べるスタンスをお持ちのようです。2018年1月9日には夫婦別姓訴訟で国へ提訴するなど、今後も動向が注目されるところでしょう。
会社については「サイボウズは僕が死んだら解散してくれ」と言葉を残すなど、そんなちょっとしたエピソードがあります。
主な経歴
1994年3月
大阪大学工学部情報システム工学科を卒業。
同年4月
松下電工株式会社(現:パナソニック株式会社)に入社。営業企画部に配属されますが、この当時はまだパソコンが普及し始める少し前の頃でした。100名の社員に対してパソコンがわずか3台。ワープロ専用機で報告書を書くというのは、今では想像できませんね。
そのため、ご自身でパソコンを持ち込んで業務を行い、これをきっかけに事業部内にパソコンを配布してネットワークや電子メールなどの環境を整える、といった内容の仕事などを徐々に任されるようになります。今ではごく当たり前のシステムですが、それを作っていったひとりが青野氏だったのです。
こうした経験が「もっとコンピュータの仕事に関わりたい」という気持ちを奮い立たせたのか、社内ベンチャー制度においてベンチャー企業の立ち上げに参加。そこで出会ったのが、サイボウズを設立した3人の内の1人・高須賀宣氏でした。
今までの「顧客から依頼を受けたシステムをつくる」というスタンスではなく「自分たちが考えたパッケージソフトを作りたい」この思いが強くなっていき、最終的には独立を決意したそうです。
1997年8月
大学の先輩で、ジャストシステムで働いていた畑慎也氏を誘い、サイボウズ株式会社設立、取締役に就任します。
2005年4月
同社の代表取締役社長に就任(現任)。現在に至るまで日々進化し続けています。サイボウズの売上は、2016年12月期で売上77億5,600万円、経常利益4億100万円と堅調な数字を残しています。
ビジネスのなかでさまざまな考えを持っていることでも注目されており、特に働き方については「トップ自ら育児休暇を取得」したことでも知られています。また「均一化した、単一的な、一律的なもの」から「多様な、柔軟性の高いもの」へのシフトをするべきという持論や「価値観も多様な方向に切り替えていくことが、働き方改革の本質」といった意見をお持ちのようです。
主な著書
- 「会社というモンスターが、僕たちを不幸にしているのかもしれない。 」(2018年2月27日/PHP研究所)
- 「チームのことだけ、考えた。」(2015年12月18日/ダイヤモンド社)
- 「ちょいデキ!」(2007年09月20日/文藝春秋)